小さなお花屋さんから

hanayaposy.exblog.jp
ブログトップ

<   2008年 02月 ( 21 )   > この月の画像一覧


2008年 02月 10日

初七日

昨日は奈良は大雪だったけど、今朝は晴れてて雪も昼には溶け出していた。

今日はみーちゃんの初七日だった。

いつもどおり、みーちゃんのキャラットを温めてお供えし、お水も新しい物をたっぷりと供えてお線香をあげた。

今日はお経をあげてあげたいと思い、ネットで「お経 聴く」で検索してみると、意外にもたくさんヒットした。

その中から、宗派はともかく、読経の声が心地よかった高野山のお経を流してみーちゃんの初七日を行った。

普段、お経なんて退屈で興味もなかったが、お経を流しながらみーちゃんに無心で手を合わせていると、とても心が落ち着いて空気が澄んだような気がした。

昨日の夜、初めてみーちゃんが夢に出てきた。
正確に言うと、出てきたような気がする。

寝たのか寝る直前だったか、目をつぶっているとお母さんのことを思いだした。

ああ、お母さんだったらみーちゃんのことも知っている。
みーちゃんも私のお母さんだったら一緒にいて寂しくないんではないかなと思った。

そしたら、若かりし頃のお母さんが笑って立っていて、みーちゃんがお母さんの所に走っていって、お母さんがみーちゃんをとてもなれた感じで抱き上げた。
私の方を見て、ニコニコ笑いながら立っている。
みーちゃんもすごく落ち着いた様子で抱かれていて、なんとなく私もよろしく頼む、という気持ちでそれを見ていた。


お経を聴きながら手を合わせていると、その場面が思いだされて、夫に言うとみーちゃんは行くべきところに行くことが出来たってことじゃないかと言っていた。

思えばお母さんだけでなく、みーちゃんのお母さんや姉妹や、今まで飼っていた猫、ラグちゃんなど、お迎えしてくれているんではと思い、みんなに向かって手を合わせた。


それから今日は、夫とみーちゃんの思い出話をしながらお酒を飲んだ。

思いだすのは楽しかったことばかり。
でもみーちゃんはどんくさい子だったので、夫の方はどんくさかったエピソードの方が思い出深かったみたいで笑った。

どうしても、病気や病院の事に話しが及ぶと悔しくて涙が出たが、楽しくみーちゃんを送ってあげられたと思う。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-10 23:12
2008年 02月 09日

プチ楽市

今日から3日間、奈良のたかばたけにあるカフェ「南果」さんでプチ楽市と言うイベントが行われます。

南果さんの、まるでおばあちゃんちに遊びに来たような店内に、お菓子や雑貨など色んな作家さんたちのお店が集まります。

私も3日間参加させていただく予定になっていましたが、初め熊本におばさんのお見舞いに行く予定が重なり、10,11日だけの参加にさせていただいていましたが・・・

おばさんは急に亡くなってしまい、そのあとみーちゃんがこんなことになって、結局全ての日をキャンセルすることになってしまいました。


イベント間近になってのキャンセルはとても迷惑なことです。
私自身、プロとして恥ずかしいことだと思い、反省しています。

キャンセルさせてもらったのは、みーちゃんの介護のためでした。
みーちゃんを自宅で診ようと決めた次の日、みーちゃんは亡くなってしまいました。


本当に南果さん、また参加したかったのにスペースの飽きがなく、あきらめられていた方がおられましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。


とっても素敵なイベントですので、お近くの方は9,10,11の3日間、南果さんへ遊びに行ってみてくださいね。

プチ楽市の詳しい情報はこちら
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-09 01:42
2008年 02月 08日

区切りのため

みーちゃんのお葬式が終り、みーちゃんが最初に倒れてから1週間。

みーちゃんがいない家で、みーちゃんの遺骨に手を合わせ、お線香をあげる。

ろうそくはなるべく欠かさないように、みーちゃんが進んでる道が暗くなって道に迷ったら困る。

みーちゃんの可愛い写真を探して、たくさん飾った。
若い時の方がたくさんある。
ヒモにじゃれ付いて遊んでる写真が多かった。

カメラ目線のみーちゃんの写真は、いつもすぐそばに置いている。
みーちゃんは、私をとにかくずっと見ていた子だった。

じーっと見ていて、私が座ったり、ちょっと止まると、ひざに乗ってくるか、構って欲しそうにすり寄ってきた。

今もみーちゃんは、私の隣でじっと私を見ている。


みーちゃんがいなくなってから、しばらくは後悔ばかり。

もっと早く気づいてやれば良かった。
もっと抱っこしてやればよかった。
ちょうど熊本に行って帰ってきてすぐだったので、亡くなる前に充分甘えさせてやれなかった。

夫と、みーちゃんがいなくなって、初めて2人になったね、と話した。

私たちは、結婚してすぐにみーちゃんと暮らし始めたので、新婚時代でも2人で暮らしたことがなかった。

2人でいても変な感じ。
いつの間にか、みーちゃんを通して会話するようになってしまってたのだろう。
2人だけだとしーんと静まり返っている。


夫が仕事に行っている間、1人でみーちゃんの写真を見ていると涙が出る。

義姉が心配して電話してくれた。

あちらも1年前、3歳の若さでラグちゃんを亡くしている。
似たような経験をしている人と話せて、少し気持ちが落ち着く。

私はあの時、あまり力になれなかったのに・・・
本当にありがたいと思った。


みーちゃんのお葬式が終わって数日は、ここに書くことで時間をやり過ごせた気がする。

気持ちを吐き出す場所が欲しかった。
みーちゃんの事を忘れてしまいたくないから、記録として書きとめたかった。
みーちゃんが苦しんだことを記録することで、ちゃんと向き合いたかった。

でもここに書くのは相当辛かった。

みーちゃんの最後の辛そうな姿、涙。
思いだすのも辛かったが、忘れてしまいたくないから書いた。

みーちゃんが亡くなる前のことは、みーちゃんをひざに乗せながら書いた。

涙で前が見えなくなって、キーボードも見えない、字も見えない状態になっても我慢して書いた。
途中で涙が止まらなくなり、書き終わるのに何時間もかかったが、書いておこうと思った。

私は異常に記憶力が悪い。
本当に大事なことでも時と共に忘れていってしまう。

きっとみーちゃんのことも、この先で記憶が薄れて行くかもしれない。

そうなることを恐れて書いた。

書いてよかったのか分からないが、自分的には書くしかなかった。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-08 18:00
2008年 02月 07日

いよいよお別れの日

5日の朝。私は泣きつかれたのと、前日から寝ていなかったせいか一度も起きることなく目が覚めた。
習慣で枕元にみーちゃんがいるか確認する。

いつもどおりすやすやと眠っているようなみーちゃん。

一瞬、今までのは悪い夢で、みーちゃんは生きてるんじゃないかと思った。

夫にあれ?みーちゃんって生きてるよね?と聞くと、いいやと答えた。

また朝から声を上げて泣いた。

夫が仕事に行ってから、みーちゃんのためにろうそくとお線香をつける。
いつもどおり、みーちゃんにキャラットを温めてあげた。

今日は朝11時に酸素ルームの人が引き取りに来ることになっていた。

酸素ルームの人は、みーちゃんに長いこと手をあわせてくれた。

この方もペット好きらしく、ワンちゃんや猫もたくさん飼っていると言っていた。

私がこうなった経過を説明すると、やはり個人病院に病気でかかると、時間の面で制約があって助からない子とかもでてくるらしい。

私が今回頼んでいた病院も、かかりつけではなかったし、時間にきっちりした先生だったようだ。

この人も、普段の予防接種やごはんを買ったりするのは近くの病院で済ませて、検査や治療は大きな病院で、先生も何人もいる所、夜間の診療や時間外も対応してくれるところに決めているらしい。

私も長年通っていた病院が、先生は優しくていいのだが、検査結果見てもはっきりとした診断を下してもらえずもう一つ病院にかかっていたんです。と言った。
でも、その病院も結局は個人病院で、先生が一人のため、対応が十分ではなかった。
引越しを機に、近くで体制の整った病院を探そうとした矢先だった。

かかりつけの病院の名前をうっかり言うと、そことも取引があるらしく知っていた。
あそこの先生は判断が遅いと言っていた。

私も長年、そこに信頼しきれない部分を感じていたので、やはりそうかと思った。

ここだけの話し、そこの病院から連絡もらって配達に行こうとすると、大抵間に合わないことがあるらしかった。

やはりさっさと病院を変えておけば良かったんだろうなと思った。

でも、これも私の判断ミス。悔しかった。


酸素ルームの人は奈良の動物病院の事情通だった。
もっと早くにあっていたらなと思う。

たくさん励ましてくれ、色んな情報も教えてくれ、帰って行った。


みーちゃんと2人になって、最後だしたくさん抱っこした。

いつものように縦抱きしたら、みーちゃんの首がぐらんとなって、私の肩にばさっと乗った。
当たり前だが、死んでしまってるんだなと思って泣いた。

たくさん抱っこして、たくさんなでてあげた。

みーちゃんの毛並みは死んだあともしっとりとしてつやつやで、何だか暖かかった。

私はみーちゃんのお腹と頭の周辺や首筋の匂いが好きだった。

絶対に忘れたくなくて、ずっと匂いを嗅いでいた。
いつもと同じ匂い。今にもゴロゴロと喉が鳴りそうなのに鳴らなかった。

どうして?何で?としか浮かばなくなった。

みーちゃんと呼びながら泣いて、すがって、みーちゃんの自慢の毛並みが私の涙でぐしょぐしょになってしまった。


夫が帰ってから、まだ行くまでに時間があったので、最期のブラッシングをしてもらうことにした。
みーちゃんは夫にマッサージとブラッシングをしてもらうのが大好きだった。

専用のゴム状ブラシを手に、カーペットの上をトントンと夫がたたくと、すっと寄ってきて、ごろんと横に鳴り、マッサージとブラッシングをねだった。

そう言えば、今年に入ってマッサージは一度もしてやってないんじゃないか。
もっとたくさんしてあげてたらよかったなあと夫が言った。


いつものように夫がブラッシングすると、毛がたくさん抜けた。
私はそれを残らず集めて、袋に詰めた。

以前からみーちゃんの爪やひげは見つけたらとっておくようにしていたが、毛だけはなかったので、大事に集めた。


出かける時間、最後にみーちゃんを抱っこして、家の中をぐるっと廻った。

みーちゃんの思い出を話しながら、階段を上り、いつも寝ていたベッドにもう一度寝かせてやった。

最後に3人でもう一度川の字になった。

ありがとう、ありがとうと言いながら、なでなでした。

それから家を出て、みーちゃんに絶対覚えておいてよ!と言った。
また帰ってこなければいけないんだから。

車で枚方へ向かう途中、かなり渋滞していた。
時間には間に合うか心配だったが、少しでもみーちゃんをなで続けたい私はずっと渋滞してくれと思った。

車の中、夫とみーちゃんはまた帰ってきてくれるかなあ。また会えるかなあと話をした。

私はみーちゃんに今度生まれてくる時も白黒の猫ちゃんか、お姉ちゃんの赤ちゃんとして生まれておいでと言った。
みーちゃんが必ず戻ってきてくれるなら、赤ちゃんを産みたいと思った。

みーちゃんは、猫だったら私たちを見つけて絶対話しかけてくるはず。
必要以上ににゃおにゃお言ってくる猫に出会ったらみーちゃんだよね、と話をした。

必ず必ず、また生まれておいで。
みーちゃんが嫌じゃなかったら、また私たちの家族になってねとお願いをした。

夫はみーちゃんに、女の子で白黒で、短いしっぽを付けててね、約束だからね。と言っていた。
今のみーちゃんそのままだなあと思った。

葬儀場について、ペットの位牌がたくさんある所でみーちゃんのお葬式をした。

まずはみーちゃんをいつものベッドに寝かせて、どら焼きやアイスクリーム、好きだったごはん、お花、愛用してたおもちゃで飾ってやった。

それからお焼香。

お経を流しながら、ありがとうと言いながら、手をあわせた。

あっという間にお別れの時間。

みーちゃんを焼き場に移す。

焼き場に入れてからも、もう一度撫でてキスをさせてもらった。

みーちゃんまたね。と言って、蓋を閉められて、みーちゃんはダビに付された。


1時間ほど待って、係りの人が呼びにきた。


案内された部屋に行くと、白い骨だけになったみーちゃんが横たわっていた。

みーちゃんの骨はとても小さく、全部拾うのは大変だった。
最終的に、許可をもらい、素手で拾ってあげた。
その方が崩れないし、小さい所も拾ってあげられた。

みーちゃんは全部つれて帰ってあげないと、と思って必死に骨壷に詰めた。

頭の部分もしっかりしていて、歯も残っていた。
奥歯が悪かったが、それもかろうじて残っていた。

全部詰めて、安定するように少し手直ししてもらった。
帰る途中に中でガラガラと頭が落ちたりしたらいけないから。

骨壷は桐の箱に入れて、ちゃんとした外カバーをかけてもらえた。
シルバーのきれいなカバー。白い房がみーちゃんのイメージで選んだ。


係りの人も、遅くまでつきあってくれ、感じのいい人だったし、いいお葬式が出来たと思う。

帰りの車の中、自分でも驚くほどすっきりと、穏やかな気持ちでみーちゃんを持っていられた。

一つ区切りがついたのかもしれない。

悲しいのは悲しいが、不思議と穏やかなきもちで、みーちゃんの遺骨を持って帰る事ができた。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-07 20:02
2008年 02月 07日

みーちゃんと眠る最後の日

4日は夫と代りばんこでずっとみーちゃんを抱っこした。
 
抱っこしながら、2人でみーちゃんの話をした。

初めて一緒に暮らすため、みーちゃんを空港に迎えにきた時。
それが夫とみーちゃんの初対面。

その頃夫は2サイクルのジムニーに乗っていて、エンジン音がとてもうるさい車だった。

初めて飛行機に乗せられた上に、うるさい車に乗せられて、着いた所は全く知らない家。

ついて直ぐ、食器棚の下の狭いスペースから何時間も出てこなかった。

ようやく出てきて、私を見るとおちついたようだったが、夫の存在にびくびくしていた。

みーちゃんは男性の低い声がキライだったから、夫にもびくついていたけどあっという間に慣れて、私たちはすぐに家族になった。

それから10年。

みーちゃんとの思い出はおもしろいことばかり。
いつも私たちを笑わせてくれたねーと言った。

いつも2人で並んで座ると、自分もソファーに飛び乗って来ていたみーちゃん。
そんなことする猫にこの先会えるだろうか。

みーちゃんは幸せだったかなと思った。

ひざの上のみーちゃんに、私たちは幸せだったよと言った。
みーちゃんに幸せにしてもらったよ、ありがとうと言った。

そうして思い出話をしながら、不思議と楽しかった話ばかり思い出して、2人で笑った。

でも次の瞬間、ひざの上のみーちゃんに目をやると、現実に引き戻されて泣いた。

どうして?なんでよ、みーちゃんと言って泣いてしまう。
みーちゃんの体を揺さぶりながら、すがり付いて泣いた。

夫は、みーちゃんを抱きながらインターネットで、みーちゃんと同じような症状の子の闘病記のような物を見ていた。

彼は、みーちゃんが入院した時からこれからの介護生活に備えて、ネットで介護の方法や食事、サプリメントなど調べていた。

また、近くにあるよさそうな病院も探していた。

私たちはみーちゃんを介護するつもりだったから、現実を見ようとしていなかったのかもしれない。

あきらめきれない私たちは、今でもネットで治療法を探している。

今思えば、みーちゃんはたくさんのサインを出していた。

食事を少し残すようになっていたこと。
息が荒く感じたこと。
顔つきが元気がなさそうだったこと。
鼻水に血が混じっていたこと。
トイレで声を出していたのも聞いたことがあった。

これだけ揃えば、普通は病院なのだが、何故か私は大丈夫だと思ってしまった。

それよりも自分の仕事や用事で頭がいっぱいだったと感じる。
元気な部分だけ見てみーちゃんの元気さを過信してしまったこと。

もともと肝臓の数値が悪かったから、風邪を引かさないように気を配っていたつもりが生ぬるかった。
もっと定期的に病院に連れて行くべき状態だったのだ。

どうして早めに検診につれていってやらなかったのか・・・

ストレスをかけたくないのと、ワクチンを高齢のため何年か受けていなかったため、病院には極力行きたくなかった。
病院の診療時間と私の仕事のリズムが合わなかった。
去年は歯が悪くなっていて、同時に右腕に脂肪の塊の様なものを発見して、そちらにばかり気をとられ、歯がおもわしくないようすの時に連れて行こうと思って、それ以外の所を気にかけてあげていなかった。

私のせいだと思った。
私たちのせい。

もっとちゃんとした人のところにいたら、今もみーちゃんは幸せだったにちがいない。

そう思ったら悔しくて泣けてきた。

その夜、みーちゃんといつもと同じようにベッドで寝た。

みーちゃんは、夜寝る時「寝るよー」と言うと、自分のベッドからサーっとでて、私たちを追い越し、階段の上で顔だけ出して待っている。

私たちが階段の上に来ると、小走りにベッドの部屋に入って、自分の好きな場所を一番に確保していた。
それは私の枕の上。

いつも私はみーちゃんと枕を一緒に使って寝た。

でもみーちゃんは、不思議と30分位したら下に降りていって、自分のベッドで寝ていた。

上の方が暖房もつけて暖かいのに、不思議がったが、したいようにさせていた。

それもいけなかったのかもしれない。

一階の朝方の気温は10度以下。ペットヒーターをベッドと一緒にダンボールの中に入れてあるとはいえ、寒かっただろう。

朝にはいつの間にかまた枕に来ていたから、寒くて戻ってきていたのかもしれない。

そういえば、倒れる当日の朝。
夫が朝見たら、みーちゃんは私の枕の上に座って、眠る私の顔をじっと見下ろしていたらしい。

その顔はいつものみーちゃんとは全然違っていて、変な感じだったらしい。

私はその日、熊本から帰って疲れていたので、お昼ごろまで寝ていた。
みーちゃんは2回起こしにきたが、私は布団に入れてやり、一緒に寝た。

お昼前に起きて、一階に下りてご飯を作ったが、みーちゃんはトイレにいた。
のぞいていると、みーちゃんはトイレでウにゃニャーと泣いて、2階に戻っていった。
ごはんを食べないのはおかしいと思ったが、トイレしてまた昼からベッドで寝るということはみーちゃんの生活パターンだったので、特におかしいとも思わなかった。

もしも熊本に行かずに家にいたら、きっと何日か前からの変化があっただろうから気づいていたかもしれない。

でも、どちらにしてもその頃は忙しく、気づいてやれてなかったかもしれない。

そんなことを思いながら、いつもどおり、みーちゃんを私の枕の上に寝かせた。

お腹のところが波打って見え、息をしているみたいだった。
生き返ったのかも!と思い、みーちゃん!と呼ぶが気のせい。
こんなことがこのあと何度もあった。

みーちゃんの手を握りながら眠る。
柔らかく、ピンクのままの肉球はいつもどおりの触り心地なのにとても冷たかった。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-07 16:21
2008年 02月 07日

みーちゃんを抱っこ

みーちゃんが亡くなった日、朝の8時45分。

先生の都合で、病院は11時40分の予約になっていた。
一晩中苦しむみーちゃんを見ていられず、朝方先生に電話して、点滴だけでも早めにしてくれないかとお願いした。

先生は、今来るんなら入院でもう家にはかえれませんと。
時間通りに来るなら通院できると言った。

絶対に通院したいので、何とかムリいって9時の診療にしてもらって、病院へ急ぐ準備をしている所だった。

ひどい痙攣が始まり、息も絶え絶え。
次の瞬間、大きく伸びをして大きなため息をついたみーちゃんは呼吸をしなくなった。

私たちはうろたえて、みーちゃん、みーちゃん!と叫び、酸素ルームから出して、口に直接酸素の管を入れて酸素を送ったが、何回かピクピクッとしただけで、みーちゃんの瞳孔は開いたまま。

夫は心臓マッサージをしていたが、心臓にちゃんと届いていたかどうか・・・

私が引き続きみーちゃんを呼びながら、心臓マッサージを続けている間、夫が先生に電話した。

呼吸が止まったような感じがするんですが、もう死んじゃったのですかね?
今から連れて行って、延命処置ってしてもらえるんなら今からすぐに行きます。と言ってた。

先生は判断に困るようなら連れて来てくださいと言った。

一度電話を切って、様子を見る。


みーちゃんはピクリともしなくなった。

そのうち、ピンクだった鼻や口がみるみる紫色になってきた。

それを見た時、死んじゃったと思った。


それから先生に電話して、もう亡くなったと思うので、病院へは行かないと言った。

先生に、口と目を閉じさせるのはどうしたらいいか聞いたら、無理なようなことを言っていた。
人間でも閉じない場合は接着剤でとめたりするらしい。

私はみーちゃんの口の汚れを拭いてやり、体についた汚物もきれいに拭きとった。涙をふいて、体全体をふいてやった。その時、軽く目を何回か手で閉じさせた。
口も同様に。

すると亡くなってしばらくは口も目もあいてたみーちゃんが、突然口も目も閉じてきた。
紫色だったお鼻もピンク色に変わってきた。

さっきまで苦しんでいた表情と変わって、いつもどおりの穏やかなみーちゃんの顔。

まるで眠っているみたいで、悲しくなって泣いた。
みーちゃんの体にすがりついて泣いた。

それからみーちゃんをお気に入りのクッションに寝かせた。
いつも寝ていたベッドは、死んじゃった時に寝ていたから、吐いた物がついていて、みーちゃんが冷たいだろうから別にした。

まるで眠っているみたいなみーちゃん。
時々、お腹が呼吸で波打っているような、ヒゲが動いたようなそういう気がしてみーちゃんと呼んで見たけど、やっぱり動かなかった。

そして、みーちゃんをこれからどうするか話し合った。

先生に何箇所か紹介してもらっていたけど、HPとか見てぴんと来なかったので、別に探す。

夫は翌日は仕事だったので、夜も葬儀してくれる所・・・を探して、枚方動物霊園に5日の8時に予約した。

4日の日は、まずみーちゃんの好きだった物を買いにいった。
みーちゃんに最後のお留守番だねと言いながら。

みーちゃんはかつお節、シーバ、キャラット、どら焼き、生クリームのワッフル、アイスクリームが好きだった。
特にあんこやクリーム、アイスクリームも食べていたらすごい欲しがっていたが、ちょっとなめさせるだけにしていたから、たくさんお供えしてあげた。

それから代りばんこで抱っこ。

みーちゃんは抱っこが大好きな子だった。

私の顔を見ると、抱っこして欲しがった。

私が家事の合間にちょっと座ると、どこからともなくやってきて、ひざの上に抱っこされに来ていた子だった。

そんな抱っこねこだったみーちゃんは、最期に抱っこしてもらえなかったから、お葬式までの2日間、ずっと抱っこしていてあげようと思った。

ひざの上で眠っているようなみーちゃん。

いつもと変わらず、みーちゃんの毛並みは柔らかく、艶やかだった。

こんなに柔らかく、まだ温かいのに、みーちゃんが死んでるなんて・・・

撫でても、顔や首筋に顔を埋めても、みーちゃんの匂いはするけどゴロゴロが聞こえない。
大きなちがいだなとおもった。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-07 12:39
2008年 02月 06日

みーちゃんありがとう

みーちゃんは2月4日月曜日AM8:45に天国へと旅立って行きました。

最期はとても苦しみました。酸素ルームの中にいるみーちゃんは、動けなくて苦しいのか、体制が変えられなくて足がしびれていたのか、体制を変えようとしてはごろんとなって。

自分で上半身を起こせる時には介助して上げられたけど、それも出来なくなってからはどうすればいいのかわからず、次に病院に行くまではとにかく酸素ルームの中に。と思ったので、最後に充分抱っこしてあげることも、甘えさせてあげることもできなかった。

心の準備が出来てなかった私は、みーちゃんに良くなって欲しかった。
だから、病院に行くまでは酸素ルームに入っていてもらって、治療を続けたかった。みーちゃんがこれで死んじゃうなんて思えなかったから。
あくまでも介護生活の始まりだと受け止めていたから。

痛かったのだろう。もがいたり手を伸ばしたりしている時、みーちゃんの顔をのぞきこむと涙が出ていた。

そんなみーちゃんに私は「みーちゃん、もうちょっとで病院よ!がんばって!がんばって!」と言い続けてしまった。

充分がんばっていたのに。

きっとがんばって欲しかったのは私のエゴだろう。


もっと早くに看取ってあげる決意をしていれば、みーちゃんを酸素ルームから出して、腕の中でお別れが出来たのかもしれない。


でもその時私は、まだ受け止めることが出来なかった。
きっと他人から見たら瀕死の状態だったのだろうが、私は万分の1でも生きて欲しかったし、助かって欲しかった。だから酸素ルームに入れたままにしてしまった。

何度かみーちゃんは入り口をかきかきして、出して欲しそうにした。

でも私は自分の手を入れてなぜるだけで、出ることは許さなかった。


あの時に出してあげていたらと思う。

いやその前に、何でもっと早く具合が悪いのに気がついてあげられなかったのか。

もっと前に、大きな病院で診察を受けていたらこんなことにはならなかったのではないか。

肝臓の数値を気にしていたのに、何もしなかった私のせいだ。

私のせいでみーちゃんは死んだ。

何よりも優先にしなければいけなかったのに。

みーちゃんがいなければ何も欲しい物もない。
何もしたいこともない。
なんで自分はまだここに存在しているのだろう。

とにかくごめんなさい。
みーちゃんごめんなさい。

わたしが身代わりになりたかった。
神様がどうしてもだれか、連れて行かなければいけないのだったら私にしてほしかった。

みーちゃんは何も悪いことしてないのに。

もっともっと甘えたかったろう。
もっともっとおいしい物を食べたかっただろう。


本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


これからどうしたらいいのだろう。

もう私には欲というものがない。

ただ一つ、みーちゃんに会いたい、抱きしめたいだけ。

出会って17年。

一緒に暮らして15年だった。

結婚して、奈良で一緒に暮らして丸10年だった。

その間、みーちゃんは色んな役割をしてくれた。

娘であったり、お母さん、姉妹、友達など本当に色んな立場でずっととなりにいてくれたのに。


またみーちゃんに会えるだろうか。

こんな私の所に帰ってきてくれるだろうか。

探し出すから、見つけて欲しい。
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-06 15:35
2008年 02月 04日

絶対に治る!!

なんだか弱気な内容になってしまった。

私は、みーちゃんは治ると信じている。

絶対にみーちゃんを治す!助ける!

まずは、私がみーちゃんを治す!と強く念じよう。

絶対にみーちゃんはどこにもやらない。ずっと一緒!
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-04 00:58
2008年 02月 03日

酸素ルーム

今日の奈良は、朝から一番の大雪。

うちもたくさんの雪に包まれてしまった。

こんなに冷え込むと、余計に具合が悪くなってしまいそう・・・。
お天気までもが意地悪く感じてしまう。


雪のため、昨日予約した酸素ルームは届くのが午前の予定が午後になった。
担当の方は伊賀から車にチェーンを付けてやって来た。

「奈良は雪が小降りでよかったです」と言っていた。

酸素ルームの設置は速かった。
使い方も簡単なので、よかった。温度調節だけが難しいので、気を配る必要がある。

酸素ルームを酸素でいっぱいにして、みーちゃんを迎えにいった。


お昼休みだったのに、先生は待合で待っていてくれた。

私が持ってきた酸素ルームに、みーちゃんを入れて連れてきてくれた。


みーちゃんは、昨日見た時よりもさらにげんなりしていた。
口には吐いた後が残ったまま、鼻水も詰まって苦しそうだった。

先生が言うには、昨日から嘔吐が始まり、胃潰瘍が出来ているみたいとのこと。
胃液の中に、血も混じっているらしい。

だんだんと免疫力が下がってきたせいで、悪化の一途をたどっていると。

先生からは、こ のまま入院させて延命を図るか、自宅療法で看取るかの選択だと言っていた。

私と夫は、自宅に連れ帰るが、あきらめずに治療は続けると言った。

今までも、みーちゃんは奇跡的に復活して来た猫である。
みーちゃんの生命力にかけてみたいと思った。

病院は、自宅から車で20分はする。
でも阪奈道路を使えばすごく近い。
でも今日は雪のため通行止め。タイミング悪い。

仕方なく普通に帰ったが、みーちゃんはおりこうにしていた。

家について、みーちゃんは少しホッとしたようだった。

住みなれた家ではないのがかわいそうだなと思った。


酸素ルームはスケルトンのアクリル板で囲まれてるので、落ち着けるようにダンボールとタオルで目隠しをした。
でも、タオルは異常に室内の温度をあげるみたいだったので、撤去。

一時、30度にいつの間にか上がっていて焦ったが、大丈夫だったみたい。
夜中、気を付けなければ。


みーちゃんは、8時ごろまで落ち着かず、時々うなされたように、手を延ばしたりしていた。
突然座りなおすと、口で「ハアハア」と息をして、それから血の混ざった胃液をはく。

何度か吐きながら横に倒れた。
しんどそう・・・

鼻水のせいで呼吸が落ち着かないので、猫の横に細長い鼻にあわせて、爪楊枝の先に湿らせた綿を巻きつけた「細い鼻用メン棒」を手作り。

これだと、表面だけだけど鼻水がきれいに拭きとれる。

みーちゃんも、息が少し楽になったようだ。うれしかった。

それから吐いたら、スポイドで波動水を10ml飲ませた。

それから1時間ぐらいして、みーちゃんがかなり辛そうになった。
意味不明の動きで手を延ばし、とても苦しそう。

トイレかと思って、先生に電話してどうすればいいか聞いてみる。

トイレはそのまましているので、気にする事はないですよ。と言われた。
まだ自力で出せるらしい。

うんこをした後が、ふらふらになって、容態が悪化する。
うんこをして欲しいが、やっぱり恐い。

その後、9時ごろからぴたっとうなされなくなった。
息は苦しそうだし、一回吐いたが、落ち着いて来た感じ。

やはり波動水が効いたのか?
さっきのは好転反応だったと思いたい。

トイレをそのまましても大丈夫なように、ペットシーツを買ってきた。
ついでに、赤ちゃん用の鼻水吸出し機を買った。

使ってみたが、失敗。猫の鼻水は吸い出せないらしい。知らなかった・・・

今は落ち着いている。
これを書く、私をじっとみながら、リラックスしてるように見える。

やっぱりみーちゃんが家にいると落ち着く。
みーちゃんがいない家なんて変な感じだったから、ようやく私も安心した。

今日は同じ部屋で眠れる。うれしいな~
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-03 00:11
2008年 02月 02日

介護

久しぶりのブログが、なんだかこんな内容ですみません。

聞いてほしいというよりも、記録というか、自分の気持ちを落ち着かせるために書いています。

コメントも頂きましてありがとうございます。
たくさんの励ましと勇気をもらえますが、申し訳なさもあります。

独り言のように、みーちゃんとのことに向きいあいたいという気持ちもあります。

ならば、WEB上に書くなと言われるかもしれませんが、記録先としてこちらに書きたいと思います。
色々と考えて、暫くの間、コメント欄は閉じさせて頂くことにしました。
読んでくださるかたのお気持ちだけ頂かせてください。



今日もみーちゃんの病院に行ってきました。

病院に行く前に、何軒か自宅の近所の病院を廻った。
今かかっている所は、自宅から遠すぎるため、今後急に発作を起こした時に困るから、今のうちに転院先を探しておこうと思ったから。

2軒ほど大きめの病院へ。
設備も先生も申し分ないが、先生の個性が正反対。

一人ははっきりと診断をくだすタイプの先生。
治療方針もしっかりしている。

もう一人は、物腰が穏やかな優しそうな先生。
治療方針も持っているが、飼い主主体。積極的に「こうしたほうがいい」などは言わないタイプ。

私は、うやむやにされてもわからないから、はっきりと何でもいってくれる先生が理想。

そうなると決まりだが、この先生の病院は少し遠い。

距離の問題で、どっちにいくか悩みながらみーちゃんの所へ。


みーちゃんに会う前に、先生からお話が・・・と言われドキッとした。

先生のお話は、みーちゃんはうんことおしっこをするのがとても辛そうだということ。

先日、トイレ中にうなり声をだしていたと言っておいたのだが、先生もそれを目撃したらしく、観察してみて、便が出しにくくなっていて力むのに力を出しすぎてしんどくなり、脱水症状も重なって痙攣になったのだろうとのこと。

ひょっとしたら、脳に障害が残ったか、脳腫瘍が原因かもしれないとのことだった。

脳のことは、行って来た2つの病院の先生も言っていたので、かなり心配になった。


先生は、「退院はしばらくムリそうです。万が一退院できても、介護生活が始まりますよ。」と言われた。

私はなんとなくピンと来なかった。
あんなに元気で若々しかったみーちゃんが介護?
いやいや、うちの子に限って!と思ってしまう。

すると先生は、「万が一退院しても酸素ルームを常備して、部屋はエアコンで快適な温度を保つことが必要です。」と言った。

酸素ルームとは、みーちゃんがいま入っている部屋らしい。

透明の箱で、中に酸素が密閉されている。

最初に病院に着いた時、ぐったりしたみーちゃんはまず、酸素ルームに入ってから点滴を受けたらしい。
酸素だけでも見る見る元気になったから、緊急時に備えて一家に一台ということらしい。

私もネットで使っている人を調べてみたが、心臓病のワンちゃんばかりだったので、ねこにはな~と思った。

料金も、始めの設置料、初期費用が15000円、レンタル代が1月15000円、電気代は1月100~200円程度。ということで、本当に必要か迷っていた。


そんな話を終えて、いよいよみーちゃんと面会。

昨日と違ってかなり苦しそう。
目もうつろで、別人みたい。あんなにくりくりのおめめが・・・。

「先生!大丈夫なんですかね?」と聞くと、「さっきうんこしてから疲れたみたいなんですよ。」と。

しんどそうで、「みーちゃん」と呼んでも返事はしない。

なでなでしていたら、みーちゃんがしきりに後ろの壁の方を見ようとする。
首が不自然な動きをして、つづいて手も後ろに伸ばしはじめた。

同時に、ぱたっと倒れて苦しそうに「うにゃうにゃ~~」と鳴きだした。

ビックリして先生を呼ぶと、にわかにざわつき始める。

私は待合室に出されてしまい、一人でうろたえていた。

「みーちゃんを連れて行かないで!!おかあさん!お願いお願い!」と祈るしかなかった。

そうして15分くらい経過して、中に呼ばれて急いでいくと、みーちゃんは落ち着いていた。

何か先生が処置をしたらしい。
完全介護ではないので、もしだれもいない時だったらと思ったらぞっとしてしまう。

しばらくは興奮するからと、外からのぞくだけにした。

先生に「この子は、私が介護できないと思って先にいこうとしていたのかもしれない。普段がぐうたらな飼い主を見透かしてるわ・・・。」と言った。
それからみーちゃんに、「もう覚悟は出来てるよ。うんこでもなんでもとってあげるし、がんばるから、みーちゃんもがんばってよ!」と声をかけた。
みーちゃんは壁の方を見つめていたので、聞いていたかは分からない。

この時、先生が言っていた介護生活という言葉をしっかりと受け止めることが出来たような気がする。

帰ってから、すぐに酸素ルームを手配した。
在庫があったので、明日の午前中には設置にきてくれるようになった。

明日もみーちゃんの面会に行く。

午前中は酸素ルームが届くし、みーちゃんも落ち着かないから、夜面会に来てくださいと言われている。

夜まで待てない・・・・。
今この時間も、急変していないか心配だし。

でも、気弱な考えではいかん!とも思っている。
絶対にみーちゃんは助かる!よくなる!元気になる!また抱っこできる!一緒に暮らせる!また腕の中でゴロゴロ言いながら一緒に眠れる!絶対に!!
[PR]

by posy-bouquet | 2008-02-02 02:32